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真田丸30話黄昏の感想は豊臣家は坂道をころがっている

大地震の発生から始まりました。伏見大地震ですね。
秀吉はよく引き残ったものです。加藤清正が一番最初に駆け付けた
というお話はよく耳にしました。確か、朝鮮出兵時で石田三成や
小西行長といざこざがあって謹慎中だったということを聞いたことがあります。
本当に秀次事件の後に起きただけに天変地異というより
京都の民たちは”祟り”と思ったのではないでしょうか?
おそらく誰もが今後の豊臣政権の将来を不安に感じたことでしょう。
DSC_0256.JPG

こんな時にスペインの船が暴風雨により漂着しました 1596年の
本当のお話です。秀吉もお金が必要なため船から積み荷を
没収するように命じます。当時は増田長盛が対応にあたった
らしいです。キリスト教の布教の裏に植民地化が隠されてる
ことが分り秀吉が激怒したという話を聞いたことがあります。
この時期 有名なバテレン追放令がでましたね。日本にいた宣教師を
処刑してしまいます。

そして5歳の捨が秀頼となり元服します。忠誠を誓うため全国の大名を
集めお披露目します。この時秀吉はお漏らしをしてしまいます。
信繁の機転で秀頼がおもらししたことにしました。しかし秀吉の
おもらしは有名ですね最近の大河ドラマでこのシーンは
良き見ますね。先週も書きましたが大河ドラマの伊達正宗の時
秀吉役の勝新太郎がお漏らししたシーンはいまだに鮮明に覚えています。
とても衝撃的でした。自分自身秀吉のお漏らしの件は初めて知りましたし
名優 勝さんがそのシーンをすることにも驚きました。
この時期秀吉はアルツハイマーが入っていたんでしょうね。

こんな状況のなか秀吉は先が短いのではないかといううわさが
流れ始めます。兄の信幸も気にし始め信繁を問い詰めますが
信繁は普通に答えます。心の中は本心が癒えずかなりの葛藤が
はったはずです。でも大谷吉継に悟られ兄と父昌幸には
本当のことを言います。”秀吉は先が短い”と・・・・

上杉景勝もこういうタイミングで秀吉から会津に行けと
言われたことはつらかったでしょうね。

あとはびっくりしたのは、まさか吉野太夫が殺されるなんて・・・
本多正信の仕業ですね・・・いつも本当に悪者ですね。
あおれにしてもまたインターネット上でよく言われる
ロスでしょうか?

しかし信繁はこんなに豊臣家の最後の方にかかわっていたとは
思いませんでした。それでも真田丸応援します。








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