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真田丸の感想39話は歳月、平和な時代についに豊臣家が・・・

1611年(慶長16年)父・真田昌幸が配流になって11年目に64歳で死去しました
次の年、信繁は出家して好白と名乗りました。

「真好白」「真好白信繁」などと署名した書状が現存している
ようですね
DSC_0375.JPG
信繁は、九度山に蟄居してから子供も3人生まれ、それなりに
九度山の暮らしを楽しんでいたのでしょうか?実は戦争のない平和な時代だったかも
しれません。但し昌幸の血がながれている信繁はそれはおもしろくなかったのかも?
yjimage.jpg
仕送りをしてくれたり、徳川家康に信繁の赦免嘆願を度々してくれる
信之にも、もう赦免嘆願はしなくてもいいからと告げていました。

出家したのは、徳川家を安心させるためでしょうか。
それとも、もう戦う気力はなくなったのでしょうか。
一説によると、この頃の信繁は、家臣に金と酒を要求して酒びたり
の自堕落な生活をしていたとも伝わっています。

この回のドラマを見ているとやはり信繁一家にとって平和な時代だったのが
よく表れていました。
きりとはるのやり取りもおもしろかったなあ、信繁とはるのやりとりも・・・
どれだけ障子を破るんですか!

そして秀次の娘もでてきまたね・・たか 
三谷ワールド満載ですね。この三谷ワールドがでるということは
やはり平和な時代ですよね!

きりが白状していましたね。信繁の子を産みたかったと!

真田紐も作って、村人たちも信繁になびいてきましたね。はるもみんな仲間に
なってきました。なのにこのタイミングで
豊臣家が迎えに来るんですよね。来なければよいのに・・・この回のドラマを
見て何回そう思ったか!平和な一家を邪魔しにくるんですよね。豊臣家は・・・
なんで信繁は大阪城に入っていったんでしょうか?
そんなにそんなに戦が好きだったんでしょうか?
大助まで行ってしまうんですね。










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タグ:歳月
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